高校時代、ペルーでのホームステイの経験は、驚くことばかりでした。
インフレのため、1年で物価は10倍にも上昇。
先生のストライキで、高校の授業は数ヶ月も休講。
デモがあると、町の広場は催涙弾でモクモク。
今までの私の常識では考えられないことが沢山ありました。
そんな環境でも年中パーティーがあり、親戚同士の集まりも頻繁で、市場で新鮮な野菜を買ってきて料理をしたり、友達と郊外に出かけてピクニックをしたり、そんな楽しいことがいっぱいの暮らしでした。
日本でニュースだけを聞くと、危険なんじゃないか?と思われるようなところでも、日常生活は淡々と営まれていました。経済的には日本より貧しいはずなのに、みんなどうやって毎日を楽しむかを知っていて、自分で自分の暮らしを作っているという「生きている実感」がありました。
「先進国と言われる日本での暮らしが、果たして本当に幸せなのか?」
もちろん、途上国の暮らしが良いというわけでもありません。
だから、どんな未来を作っていったら本当にみんなが幸せな世界を作れるのか?ペルーでの生活はそんな風に考え始めるきっかけとなりました。
私の初めての海外旅行は中学生の時。まだベルリンに壁があった頃の東ドイツでした。ベルリンでの検問にドキドキしながら訪れたものの、出会う人はみんなフレンドリー。片言のドイツ語が通じたのがとても嬉しくて、いろんな国の言葉を話せるようになって、「世界中の人と仲良くなりたい」と思いました。
それから、高校・大学時代にペルーとメキシコへ留学。また、家族で3年半のパキスタン駐在を経験しています。
そうやって日本ではない世界を見てきたからか、私には平和な世界を作りたい、貧富の差がある社会を変えたい、地球規模の環境問題を解決したい、という熱い思いが芽生えました。
ただ、この大きな問題を前にして自分は何ができるのか、そもそもどちらに向かっていけばいいのか、私には目指す未来の形が分かりませんでした。
社会人になると、日本の抱えている問題もよりクリアに見えてきました。
食の汚染、農業の衰退、高齢化、医療費の増大、etc...
夫は国際協力の仕事に携わっていましたが、家での時間がほとんどないくらい忙しい時もあり、協力する側が幸せな暮らしを送れていなくて、果たして本当にみんなが幸せな社会が作れるのだろうか?という私自身の生活スタイルそのものへの疑問もありました。
それに加えて、
食の安全や途上国の問題を学ぶ勉強会に参加したり
フェアトレードの活動でボランティアをしたり
障害者の方の介護ボランティアをしたり
原発反対の署名活動をしたり。
いろいろやってみましたが、問題を解決しようと思うほどに、どんどん他の問題が見えてきました。
そのせいか私は、こんなに問題ばかりの世の中なのに、なんで何も変えようとしない人が多いんだろう、という批判の気持ちがどんどん大きくなっていきました。どんな時でも何かにダメ出しをし、心から今を楽しめない自分になってしまっていったのです。
そんな時につぶつぶに出会いました。
たくさん感じていた問題の中でも、食の安全性には特に危機感を感じていました。
遺伝子組み換えや抗生剤などの影響がない、安全なお肉やお魚を、手に入れるにはどうしたらいいか?そもそも、江戸時代くらいまでの人は、毎日お肉やお魚を食べずに暮らしていたのに、なんで今は、毎日お肉やお魚がないと献立が成り立たないんだろう?
そんな風に考えていたところ、図書館で「つぶつぶクッキング」の本に出会いました。
「面白そう!」というのが最初の印象。
本からでさえ、楽しそうに料理をしている様子が伝わってきて、私もこんな風に料理をしてみたい、と思ったのです。
実際に食材を取り寄せて料理を作ってみると、調味料や調理法はシンプルなのに美味しい!
私はその美味しさの虜になりました。
つぶつぶについて色々と学んでいくうちに、過剰な肉食という食スタイルが、私たちの健康という面からも、地球の命の循環という面からも、様々な問題を引き起こしている、ということに気付かされました。
そうして、つぶつぶによる食生活こそが、今まで思い悩んでいたいろいろな問題の解決法だ!という確信にスルスルと一気につながったのです。
つぶつぶで、私が解決したいと思っていた、食の問題も食料不足も環境問題もぜんぶ解決できる!そう思った時、目の前がパーっと広がりました。
こんなに美味しくて、体にもよくて地球にもよい食事があったなんて!
美味しさはもちろんのこと、つぶつぶの考え方に私は惚れ込みました。
つぶつぶ料理を作るようになってまず嬉しかったのは、「体が喜ぶ」という感覚がわかるようになったことです。
実はずーっと前から「知識はいっぱいだけれど自分の感覚には自信が持てない、頭でっかちな自分」にコンプレックスを感じていました。いつも、外から得た基準に照らし合わせて、「合っているか、間違っているか」で判断していました。
でも「自分が美味しいと感じるかどうか」で物事を見れるようになったのです。それはつぶつぶの料理を作ることによって理解できるようになっていきました。そのうちに「きちんとしなきゃ」と悩んでいた子育てでも、「今はかき混ぜすぎて美味しくなくなってしまったんだな」とか「今回は放っておきすぎて焦がしてしまったんだな」とか、料理になぞらえて分かるようになっていきました。
一つ一つの素材を活かして、美味しくなるようにとワクワク楽しみながら野菜を切り、火を入れ、鍋の様子を見てあげると思っていた以上の美味しさが生まれます。
理屈ではなく、現実。
きちんとではなく、楽しく。
正しいではなく、美味しい。
それがつぶつぶの世界でした。
だから不思議なことかもしれませんが、なんで息子が、体にも環境にも「正しい」と思って私が作った食事を頑なに拒否して食べなかったのかもわかりました。
今までは頑張って「正しさ」を求めていましが正しい答えを見つけることは、他の全てを否定することであり、これこそがいろいろな争いを引き起こす考え方なのだと気付くことができました。
そうやって「正しい」を手放すと夫や家族への感謝の気持ちもどんどん大きくなりました。
「大好き」「ありがとう」この気持ちをどんどん膨らませて、まっすぐに伝えていくことがどんなに素敵なことかを実感しています。
私は気付きました。
このワクワク感、幸せ感。
これは、私がペルーやメキシコで生活していた時に感じた「生きている実感」と同じだ、と。
途上国とか先進国とか関係なく、愛と感謝の気持ちで、自分で楽しさを作り出していく意識の持ち方こそが、「生きている実感のある暮らし」を作っていたのです。
私は国際協力に携わっている夫と共に、家族で3年半パキスタンでも暮らしたことがあります。
その時は美味しいカレーを食べたり美しい山々に囲まれて小さい子どもたちは過ごしました。そんなパキスタンは今でも我が家の子どもたちが、もう一度行きたいと言っている国です。
でも、当時訪れたパキスタン北西部は、今では一般の人の居住も許されない戦闘地域になっています。
私は争いが争いを呼ぶ悪循環はもうおしまいにしたい。
新しいステージで平和を作り、もう一度子どもたちとパキスタンに行くのが私の夢です。
つぶつぶは 料理という形で物理的に私たちの体を元気にし、地球の大地を元気にしてくれます。
そして、そこから生まれる暮らしは、感謝と信頼で結ばれた人間関係を作ります。
私が求めていた平和な世界を作るための礎は、食と意識を変えるという目の前の一歩から築かれるのだと確信しています。
あなたが摂る毎日の食事が、あなたが望む未来にまっすぐと続いている、と私は思います。
おいしい料理をワクワク楽しむように、美しいハーモニーを奏でる世界を一緒に作っていきませんか?
あなたもぜひ、つぶつぶの世界を体感してみてください。
(※あくまでも個人の体験談です。)