やりなおしたい。
今のままではおわりたくない。
そんな風に思ったことがあるならば、少しわたしの話を聞いてください。
わたしは長い間、いつも自分よりもできる人を気にして生きてきました。
できそうなことだけを選んでこなし、難しそうなことからは上手く逃げてきました。
一方で、「べき」「ねば」と期待を押し付け、自分も相手も攻撃していました。
だから、失敗を人一倍恐れていたのです。
それは小学生のわたしが、母の言葉を真正面から受け取ってしまったことに原因があると思います。
「あなたは器用貧乏だから…」
その言葉のせいで、勉強もバレエもお習字も、特別な苦労をしなくても上達の早い子供だったのに、自分に自信が持てないまま大人になってしまったのです。
それでも、持ち前の負けん気と正義感の強さから、表面上は同級生にすら「さん」付けで呼ばれるほどの「優等生」となり、学級委員に選ばれるような「何でもできるちづさん」を演じ続けてきました。
ですが、「何でもできる」イメージとは裏腹で、実際には「できることだけをする」ような臆病な自分とのギャップに、常にモヤモヤとした心を抱えながら、満たされない日々を送っていたのです。
そのせいで、いつも何かが足りないと感じていました。
それは、すべて母のせいだと考え、すっと恨んでいました。
モヤモヤとした心を抱え、満たされない日々を送っていたわたしは、20代での「大失恋」を機に、心理学やスピリチュアルにいざなわれていきました。
それまでは、恋愛すらも「器用貧乏」を発揮し、なんとなくお付き合いしては、なんとなく次へ、ということを繰り返していたのですが、そんな中での「大失恋」です。わたしは心理学やスピリチュアルの影響で、頭の中には「トラウマ」や「使命」という言葉が、常にめぐるようになってしまいました。
「自分の使命がなんだか分からない。分からない今はダメだ。」
「母に言われた言葉がトラウマになっているのかも。」
「誰かにとってもらいたい、誰かに教えてもらいたい。」
そんなことまで思うようになっていったのです。
わたしは、その流れで右脳教育講師の仕事に巡り会い、やりがいを感じ始めていましたが、ここでも、正義感で自他を裁き優等生を演じながらも自信のなさはそのままという同じパターンの繰り返しをしていました。
実生活では、2度の流産、不妊治療、帝王切開出産に母乳育児での格闘…と、どんどんほころびが出て悲鳴をあげそうでした。
器用なはずのわたしが「女性が普通にできるはずのこと」ができないことを知ったショック。
これは大打撃でした。
自分は今まで何をやってきたのか?
時間を戻してやりなおしたい、と心から思いました。
どんどん壊れていく「器用な」わたし。
子育てをしながら、わが家の食卓からは手作り料理が消えていき、わたしはいつもイライラして疲れた母親になっていきました。
それでも、心を穏やかに、波風をたてないようにするのが正しいと思い込んでいたので、不安や恐れ、怒りの感情にはフタをして、それを感じると、別の心地よい情報を求めてさまよい続けていました。
仕事と育児と生活に追われる毎日。右脳教育の仕事にも矛盾を感じるようになり、子育てにも、暮らしにも確信が持てない…。
いよいよ心身が限界にきていた時でした。
友人が「つぶつぶマザー」になったという知らせが届いたのです。
わたしは、なぜかピンと来て、すぐに「未来食セミナーScene1」を受講しました。
そこには、わたしが長年求めていた答えが待っていました。
その時わたしは41歳でした。
その後、惹かれるように、家族で「未来食つぶつぶ生活体感合宿」に参加を決めたのです。そこでは、何も知らずについて来た夫が、「つぶつぶが美味しい!細胞が喜んでいる!」と喜び、未来食セミナーを受けると言い出しました。4才の娘も、思いっきり遊んで食べて、お手伝いをしてました。
わたしは初めて素のままの自分で過ごしていました。
手作りの、肉も魚も卵も乳製品も砂糖も使わない料理とスイーツの数々。新しくてなつかしいおいしさに毎食感動して、お腹いっぱい食べました。受け入れる家族やスタッフと参加者、合わせると40人を超える大家族!それだけの人が渾然一体になって暮らしを共に楽しむ姿は、今まで体験したことのないものでした。
そこには、正しい、正しくないという尺度が一切ないのに、誰も命令したり、文句を言ったりすることもなく、問題も起こらず、すべてが流れるように調和していました。
そんな経験もあり、わたしたちは、家族まるごとつぶつぶ食生活を楽しむようになりました。
「えっ、こんな簡単でいいの?」
「これだけの食材でメインディッシュが作れるの?」
「栄養バランスなんて考えなくていい!」
「食べる量も制限しなくていい!」
「減塩も油抜きも必要ない!」
「基準はおいしさだけ!」
「ホントのおいしさを感じられるように舌というセンサーを調律すればだいじょうぶ!」
これまでの料理の概念をひっくり返すことばかりでしたが、不思議と、夜遅くに帰宅しても料理がしたくなり、「よなよなクッキング」と称してSNSに投稿して楽しんだりもしてました。
そんなことをしているのに疲れ知らずで働けたり、寒い京都の冬を長袖下着なしで過ごせてしまったり、夫の花粉症も改善したりと、よいことづくめでした。
わたしは、実生活では失敗だらけになりました!(笑)。
というよりは、「失敗しそうでもやってみたい」自分や、「失敗を語れる」自分が出現したのです。
何がそんなわたしにしたのか?
それは、新しい料理へのチャレンジそのものでした。毎日料理し続けたことで、失敗を経験と思えるようになっていったのです。
わたしの未来食セミナーScene1にお越しになった方には、必ず、わたしの「ある」失敗談をお話ししています。それも、夫も一緒になって!自分のつまずきを誰かのために笑ってお話しできる。それを幸せに感じることができるなんて、われながら大変身したと思います。
失敗に対するとらえ方が変わり、わたしの心が軽さを増すにつれて、夫や娘からの「美味しい!」を聞くことができるようになった喜び!そこには、器用にこなしたのではなく、自分なりの道のりを超えてきた達成感や、自己肯定感というプレゼントもありました。
その結果、母との思い出も変化しました。
母に愛されていた記憶がよみがえり、「器用貧乏」のあの言葉は、母からの愛情表現だったと、素直に納得しているわたしを発見したのです。
本当に驚きましたが、いつしか逆恨みの心は溶けて消えました。
わたしは今45歳です。
時間を戻したいとはみじんも感じていません。
それよりも「今」を重ねて、成功も失敗もたくさん経験して、それをたくさんの人たちと分かち合っていきたい。もともとが「器用」なので、つぶつぶ料理を中心に、これから色々な分野にもチャレンジできそうだし、引き出しが増えていきそうでワクワクしています。
今ならはっきり断言できます。
あなたがモヤモヤを抱えているなら、誰かの言葉に傷ついているなら、それはあなたにチャンスがたくさんあるということです。
自分を知るチャンス、味わって生きるチャンスです。
わたしが幸運にも手に入れたこの幸せを、必要な人に届けたい。そう思って、わたしはつぶつぶマザーになりました。
だからわたしは、あなたが癒やされたいと思っているなら、あなたにその機会を届けたいと思います。
あなたも未来食の世界で「じぶん探求の旅」にとびこんでみませんか?
ぜひ、あなたの人生を変えるおいしさを、体感しに来てください。
あなたにお会いできるのを楽しみにしています。