私は前向き思考の自分を必死に演じていました。
がんばる自分が偉いと思っていたんです。
でも、一難去ってまた一難。
何事にも精一杯努力しているのに、次から次へと問題が起きるのです。
憧れの保育士になり、良い社会人、良い先生、さらに良い妻、良い嫁、良い母を目指して頑張っているのにどうして…。
「これって、何が悪いの?」と原因を探しては、妻としての自分、母としての自分、嫁としての自分を責めたり、学校が悪い、会社が悪い、社会が悪いと、いつのまにか、批判ばかりしている私になっていました。
そして、とうとう体を壊して仕事を1年も休むことになったのです。その頃、福祉の現場では職業病が蔓延していました。
低体温、低血圧。体中の筋肉が硬直し、血流が悪く、7月でも電気毛布で寝ていました。もちろん、家事もできなければ、我が子を抱くことも、自分のことすらままならず、ほとんど寝たきりの状態でした。体の痛みと心の痛みに耐え兼ねて、死にたいと何度思ったことでしょう。
その後、友人の勧めで気功に出会い、なんとか体調が回復し始めた頃、私はつぶつぶに出会うことができました。
ワクワクしながら受けた未来食セミナーは、料理教室という概念を超えていました。目からウロコどころではなく、隠されたもうひとつの世界に飛び込んだ感じ。私がこれまで体験してきた様々な問題の答えがここに全部あったのです。体中の細胞が震えるような感動をおぼえました。
それまで毎日山のように飲んでいた薬をすべてやめました。
つぶつぶを学び続けながら、休日には1日中キッチンに立ち、レシピ本を見ては片っ端から作りました。その味は和食の板前の仕事をしていた夫も、関心を示すおいしさだったのです。そうして、つぶつぶの食事に切り替えて2~3ヶ月経つ頃でした。
「そういえば手足が冷たくない。」
「そういえば電気毛布なしで寝ている。」
「そういえば体温が上がっている。」
職場の健康診断で、何と血圧が初めて人並みになっていました!
「私明るくなった!」
体が軽く、仕事もサクサクこなせるようになり、気持ちも前向きな私!
「食」の力がここまで大きかったとは思いませんでした。良かれと思っていた自己流の減塩、油抜きの食生活も私の体が壊れた大きな原因の一つだったのです。
実は、真面目一辺倒の頑張り生活で壊れたのは私の体だけではありませんでした。すべてに正しさを求め、家族に押し付けていました。
野菜中心。薄味の油抜き食生活。薄着で子育てなどなど。努力に反して子供達はしょっちゅう風邪をひき、息子にはアトピーや喘息が出て、長女は介護が必要なほどの重度の不登校になりました。
でも、つぶつぶに出会って、子供のためにと頑張った食と生き方が原因だったことに気づかされました。
社会的にも職業病認定の裁判で戦い、日々の暮らしでも正義を求めて戦い、常に戦ってばかりいた私は、つぶつぶグランマゆみこの言葉に衝撃を受けました。
「戦いという種から平和は生まれない!」
「つぶつぶは平和を今ここに出現させる食の技。」
「平和の種を蒔けば必ず平和が生まれる。」
この言葉で、私の目は覚めたのです。
「もっと早く、つぶつぶに出会っていたら、夫をガンで逝かせることはなかったかもしれない、もっと違う生き方を楽しめたかもしれない。」
「食」の力がここまで大きいことを、身をもって経験した私は、この「つぶつぶ」の食と生き方を伝えていきたいと強く願うようになりました。
つぶつぶに出会って3年目。
50歳の時に横浜で30年間勤めた保育士の仕事を辞めて、山梨県身延町に移住しました。
今の私は、夢だった古民家暮らしをしながら、母と、仕事をやめて近くに越してきた長男夫婦と孫2人、次男夫婦と緩やかな大家族ライフを満喫しています。
つぶつぶ食生活をベースに、仕事と暮らしと遊びが一体になったワクワクドキドキの毎日は夢のようです。
交通の不便な田舎なのに、セミナーも、料理教室もいつも大にぎわい。つぶつぶを学んでどんどん心も体も暮らしも軽くなり輝いていく周りの姿に、私自身もさらなる元気をもらっています。
あの時、つぶつぶに出会っていなかったら今の私はありません。
あなたも当時の私のように頑張り過ぎてはいませんか?
もし何か気になったのなら、是非、体感会にいらしてください。
あなたとつぶつぶの出会いの橋渡しができることを心から嬉しく思います。
あなたのお越しをお待ちしております。
(※あくまでも個人の体験談です。)