「おいしいものを食べずに長生きしてもしょうがない」
そう豪語していたにも関わらず、あの日の私は不安に耐え切れず海外へ避難することになりました。
10年前、当時の私は「健康なお産をしたい」という気持ちから、食について色々と調べていました。しかし、調べれば調べるほど私を混乱させる情報が溢れていました。
例えば、塩は体に必要というものもあれば減塩を勧めるものがあったり、乳製品は良くないというものもあれば乳製品を食べたほうが良いというものがあったり、自然食・健康食という名のもとに正反対の情報に躍らされる状況にぶつかりました。
そこで混乱した私は、健康なお産をする為には危険な食を排除する必要があると考え、「食べてはいけない」と言われるものを全てやめたのです。 その結果、お味噌汁とおひたし、そしてちょっとのご飯というとても質素な食生活をするようになりました。
それまでの私は美味しいものを食べることがものすごく楽しみで、B級グルメから高級グルメに至るまで、世界の味を堪能してきたと言えるほど食にこだわりを持っていました。しかも極端な洋食中心の家庭に育ち、海外生活も経験していましたので、食べてはいけないものを排除した自然食の食事は、正直「おいしい」と言えるようなものではありませんでした。
それでも、体に良い物なのだから多少おいしくなくても当り前、と自分に言い聞かせていたのです。
しばらくして無事に出産をしましたが、多少ふくよかでも良いはずの出産直後にも関わらず体重は42キロ、ただし身長は165センチでしたので体脂肪率に至っては9%しかないという超激ヤセの状態にまで陥りました。私の体は悲鳴を上げていました。体重はどんどん落ちていき、気力も体力もなく、疲れやすくなっていきました。
私は「おいしいものは体に悪い」だけど「おいしいものを食べたい」という矛盾を心の奥底に抱えていました。だから、ずっと我慢の連続でした。
質素な自然食の食事を続けながら、今まで食べていたおいしかった料理を思い出す日々。それでも毎日「健康のため」と自分に言い聞かせながら耐え忍ぶ生活を送っていました。
そうやって大好きだったはずの食事が、いつのまにか苦痛になり、制限ばかりの料理で心が弾むことはなくなり、食卓からは笑顔が消えていきました。
そんなある日の夜中、ついに私の理性の糸が切れました。 コンビニでアイスやチョコを買い食いしたのです。 私はその罪悪感から、食事制限をさらに厳しくするようになっていきました。 しかし、一度狂ってしまった食生活は簡単に戻ることはありませんでした。 今考えると私は摂食障害になっていたのだと思います。
食生活の厳しさからストレスがたまり、夜中に買い食いしては日中に食事制限をするという悪循環にはまっていったのです。 それなのに私は食事に気をつけているという自負から「私ほど健康な人はいない」と信じていました。
良くないものを排除する考えは、楽しむはずだった子育てにも影響を与えていきました。
「あれはダメ、これはダメ」 と四六時中神経を尖らせていました。
そうやって矛先は食事だけではなくなり、あらゆるものに対して不安を抱くようになっていきました。
脆い自分を守るように寛容さを失い、自分の殻に閉じこもり、他人の考えを否定したり、攻撃したりするようになっていきました。
子育ての不安。健康の不安。環境問題の不安。 私は私の未来すべてに対して不安を感じていたのです。
楽天的だった私は、いつのまにか否定的でギスギスした性格に変化してしまいました。 これは後になってわかったことですがパートナーはこの時、あまりに変わり果てた私との、離婚を考えていたそうです。
私の不安と恐怖は、東日本大震災に起因する放射能汚染問題で一気に噴出しました。
毎日風向きを気にし、外に出るときはマスク。帰ってきたら洋服を玄関の外で脱ぎ、袋に入れておくなど異常なまでの気にしようでした。子どもは幼稚園も休ませ、外で遊ぶなんてとんでもない、と一緒に家にこもってしまいました。
でも、色んなことをすればするほど、安心感ではなく不安感の方がどんどん大きくなっていきました。 そしてついに、私は不安と恐怖に耐え切れず、パートナーを説得し海外へ避難することを決めたのです。 私は日本を離れシンガポールに向かいました。でも、海外へ避難しても不安はなくなりませんでした。 距離を置くことで放射能汚染への不安は多少小さくなりましたが、また別の不安と恐怖に襲われることになっていきました。
滞在先のシンガポールでは、マラリアの発生を防ぐために使われる蚊を駆除する薬や、野菜の農薬問題と、別の不安がどんどん溢れ出しました。 もはや、東京に戻るのも不安、シンガポールにこのまま住むのも不安という、八方塞がりの状態にまで追い詰められてしまいました。
そんなシンガポールで限界にまで追い詰められていた私の心に、一筋の光が差し込みました。 それが「未来食つぶつぶ」です。 不安でいっぱいの状況の中、私はインターネットでつぶつぶの存在を知ったのです。私は何か直感のようなもので、つぶつぶに関するセミナーを受講することにしました。 すると、スゴイことが起こりました。
私の中に巣食っていた不安や恐怖がすっかり消えてなくなったのです。 それどころか、代わりに希望の種が私の中に植えられました。 そこからの私は一気に変わりました。
つぶつぶ料理によって、お肌の状態も、若い頃よりもずっと張りがあり、しっとりするようになりました。 心も体も軽くなり「はつこさん、最初にあった時よりも若返ってますね」と言われるようになりました。 娘に対しても優しくなり、彼女は創造力豊かにすくすくと育ってくれています。 現在10歳になりますが「前のお母さんはよく怒ってたけど、いまは怒らないないからつまらない」と言われるほどです。
家族と本気で遊んで、心から笑えるようになり、私が自己流自然食で激やせした時には心配していた両親も、今では私が好きなことを仕事にして暮らしていることを喜んでくれています。 あの時、離婚の危機にあった夫婦関係は、結婚当初より深い愛でつながっています。お互いがお互いを認め合い、成長しあっています。
「社会に役立つ仕事がしたい」と思っていましたが、特別な資格がないので諦めていました。しかし、それが叶いました。
文章を書くことが好きでした。
人を笑顔にしたいと思っていました。
海外で料理教室をしたいと思っていました。
それもこれもみんな叶いました。
どんどん夢が叶っています。
私のすべてが満たされています。
私はみんなが笑顔で暮らせる社会作りに役立ちたい、という想いをどうやって実現していいのか長年模索していました。 いろいろな資格にチャレンジしたり、セミナーに参加したり、といった自分探しの旅が「未来食つぶつぶ」との出会いで終止符を打ちました。
自分が得意だった料理で笑顔あふれる社会作りに役立つ「つぶつぶマザー」という仕事はまさに私の天職だと、毎日ワクワク楽しく活動しています。健康とグルメが同時に手に入る、世界で唯一の究極のグルメ食「未来食つぶつぶ」の無限の創造性と可能性と遊ぶ毎日を送っています。 豊富な国際経験やホームパーティー経験から無限に生まれるアイディアは、料理教室でもセミナーでも大人気となり、料理が楽しくなると評判になっています。
食べることが好きだからこそ食に迷い、そして社会に役に立ちたいと思うからこそ人生に迷っていた私が見つけた新しい私への鍵「未来食つぶつぶ」を是非あなたにも体感してほしい。
そして本当の自分をキラキラ生きるキッカケにしてほしい。
私はそんな思いを抱いています。
そして、異国情緒あふれる都会のオアシスHappy Kitchenであなたをお待ちしております。
多くの不安を抱えている人に不安を幸福に変えるマジックを。
是非、究極のグルメ食「未来食つぶつぶ」を体感しにきてください。
(※あくまでも個人の体験談です。)